Era of Suiseisha水星社の時代

Era of Suiseisha

2026.10.21
水星社の時代
水星社の時代〜イタリア映画の輝き 4

イタリア映画は、フェリーニの「甘い生活」(1960)やアントニオーニの「夜」(1961)あたりから、それまでのネオレアリズモとの対比の様に、(ブルジョワと退廃)というテーマが、はっきりジャンルとして組み込まれたようだ。
モダニスト系監督の音楽を、もう少し見てみよう。
フランチェスコ・マゼッリの「太陽の誘惑」(1960)。
音楽はジョヴァンニ・フスコの仕事だ。映画の存在より、ニコ・フィデンコの主題歌がヒットしたイメージが強いが、イタリア版太陽族映画だからちゃんと(太陽)というタイトルがついている。

インテリ向けの地味な映画のサントラもレコード盤になった時代。(豊かさ)の意味を考えさせられる。

この時代の映画の流れには、日本映画と海外映画のタイトルの間で、お互いに(太陽)を意識し合う面白いキャッチボールが起きている。
あまりに(太陽)が多いので、書かずにはいられない。

(太陽)映画のはじまり。

石原慎太郎の小説「太陽の季節」は1955年にベストセラーになり翌年1956年に映画化されて、空前の太陽族ブームを日本社会に巻き起こした。
戦後の貧困の中から、ブルジョワの復権(ほとんどが成り上がりではあったが…)が目立ちはじめ、一般の人々は反撥と憧れの入り混じった興味で、このブームを受け止めた。ヨーロッパには、日本のように財閥解体(ドイツ系の一部は除く)はなかったし、昔からの根強い貴族社会があり、あれほど痛め付けられた第二次大戦後も、彼等はもっと強力な資本の繫がりを強化し始めた時期にあたる。

日本映画史的には、この太陽族ブームへのアンサーは、「太陽とバラ」(1956)で、木下惠介が、応えているが、風俗としてすぐに…収束するかに見えた(太陽)映画ブームは、1960年に再燃した。Plein Soleil→「太陽がいっぱい」(1960)である。
秦早穂子の機知が光る日本タイトルは、太陽族にもあやかっていて、この映画がメガヒットしたこともあり、また大量の(太陽)映画が復活した。

(太陽)ブーム再燃!

これ以降、イタリアの映画は「歌え太陽」(1960)
「太陽の誘惑」(1961)
「太陽の下の18才」(1963)「太陽はひとりぼっち」(1963)…と何かというと原題無視で(太陽)がつけられている。
合作まで広げると
「太陽にかける橋」(1961)
「太陽は傷だらけ」(1963)
「太陽が目にしみる」(1965)…と、本当にキリがない。
ところが日本も負けておらず「太陽の墓場」(1960)
「下町の太陽」(1963)
「黒い太陽」(1964)…
こちらもキリがないのだ。
つまりこの時代(太陽)は、(最先端の若者文化)(不道徳)(金持ちと労働者のヒエラルキー)(反撥のエネルギー)…等をすべて詰めたブランドのロゴだったのだ。
そして内容が関係なくても(太陽)をつければ、映画も最低限もとを取れたのだ。
でなければ何番煎じかもわからないタイトルに加える理由はない。
映画会社が、猫も杓子も(太陽)と題につけ、“流行”に同調するエネルギーは、日本人のブランド好きにも由来している気がするが、世界的にも珍しいと思う。

さて本題である、モダニスト系映画をもう少しみたい。
「恋のなぎさ」(1964)
「砂上物語」(1963-1964日本公開)…このマニアックな二本。

いつもお坊っちゃん役、ジャック・ペランは、大人になって大プロデューサーになった。

「恋の…」は、当時バルドーに負けない人気があったカトリーヌ・スパークの映画だ。監督のフロレスタノ・バンチーニ は、アントニオ―ニと同じフェラーラ生まれで、ジャーナリストから映画界に入り、ズルリーニにも師事した。一癖ある社会派監督で、イタリアでは特別な位置にいた。

砂のように何処へ消えたか…消息の分からない映画。

フェリ―ニの弟、リカルドが作った「砂上物語」は、未見であるが、テーマ曲は現在も、頭に残っている。またまたジョヴァンニ・フスコの曲だ。
ユア・ヒット・パレードという文化放送の番組があって、私は、この番組でこの映画とテーマ曲を知った。
映画は記録的な不入りだったそうで、数日で上映が打ち切られ、まさに幻の映画になってしまった。その後日本では全く見る術がない。
ここまで消息の追えない映画も珍しい。