Era of Suiseisha水星社の時代

Era of Suiseisha

2026.10.18
水星社の時代
水星社の時代〜イタリア映画の輝き 2

イタリアは歌の国、60年代になるとムジカレッロが沢山作られた。日本の歌謡映画に似ているムジカレッロは”若手歌手のプロモーション”のために作られた。
イタリアの音楽映画といえば名作「ナポリの饗宴」(1954)が典型だが、ムジカレッロは、同じ音楽映画ではあっても、ずっと低予算で目的が別である。

ナポリの歴史映画。ナポリターナの宝庫。(水星社の譜面集にも何曲も載っていた)

「サンレモ乾杯!」(1963-1965日本公開)は、ミーナが大活躍する音楽祭自体をネタにした芸能界裏話のコメディ。入賞曲「クワンド・クワンド・クワンド」などが沢山出てくる。
ミーナはイタリアンポップス(カンツォーネ)を語る時には、絶対に欠かせない大きな存在だ。「月影のナポリ」「砂に消えた涙」…と言えば、伝わるだろうか?
この2曲だけでも、日本の60年代ポップスに大きな足跡を残している。

何人の日本人がこの曲をカバーしたことか…。日本人の想うイタリアンポップスの原点!

ムジカレッロとは、言えないが、とにかくカンツォーネやダンス曲が、とぎれないで登場する音楽映画も多く作られた。大ヒットした「太陽の下の18歳」(1962-1963日本公開)と「追い越し野郎」(1962-1964日本公開)。
両方とも、カトリーヌ・スパークの主演で、とくに「太陽の下…」は、日本でも「サンライト・トゥイスト」が、メガ級のヒット。
「砂に消えた…」などと共に日本人にカンツォーネポップスを、イメージづけた。
このあたりの曲は、TVの若者向け歌番組で、渡辺プロダクション等の歌手たちが、日本語で次々に歌った。外国曲を日本語で歌い、曲がヒットしてアイドルが続出する…この現象は10年は続いた。
最初は映画音楽とラジオから聞こえてきたカンツォーネポップスはTVを通じて茶の間に浸透していった。
カトリーヌ・スパークはこれですっかり大スターとなった。
同じカトリーヌの「追い越し…」はイタリア発ロードムービーだった。ローマからトスカーナの海岸まで若者と中年男がナンパ珍道中。実験的面白さが新鮮で、あちこちにカンツォーネが散りばめられた映画だった。世界中の映画人が影響を受けている。(例えばアメリカの「イージー・ライダー(1969)」等)

イタリア発(ロードムービー)の金字塔。

サンレモで賞を取った2大名曲も映画になった。はじめにヒット曲ありきの映画作りだが、ボビー・ソロの「ほほにかかる涙」(1964)とジリオラ・チンクェッティの「愛は限りなく」(1966)は、当時のヨーロッパアイドル路線のトレンドに乗った映画であった。どちらもプロモーション映画の域は出なかったが、ボビー・ソロの「ほほに…」は映画としても大ヒット。

イタリアのプレスリー!

「愛は…」は、とにかくチンクェッティが、歌いまくる映画だった。彼女のデビュー曲「夢みる想い」は、既に十分、日本でも知られていて、「ほほに…」まではいかなかったが、男性客を集め、その後の彼女の日本での人気の後押しをした。

カンツォーネの男女のアイドル歌手映画が、揃って公開されて、人を集めた時代は、日本人が、イタリア的なポップスのメロディーに目覚めた時代である。 まだまだピザもスパゲッティも一般は知らなかった。
私はオペラ系の歌曲はともかく、耳馴染みのない新しいカンツォーネが、ここまで広まったのは、関根美智子の見えない貢献が非常に大きいと思っている。