Era of Suiseisha水星社の時代

Era of Suiseisha

2026.10.17
水星社の時代
水星社の時代〜イタリア映画の輝き 1

「日仏映画往来」を出した後、私は何度も「日伊映画往来」を出したらといわれた。
少しだけ書き出したこともあったが、日仏に負けないくらい往来が多い日伊の映画をまとめるには、やはり5年はかかるだろう。
私はイタリア映画を偏愛してきた。大きな要素は、イタリア映画の主題歌には、好きな曲が多いからだ。
 
今回は、フェデリコ・フェリー二とピエトロ・ジェルミの傑作群から見ていこう。
フェデリコといえば、音楽はニーノ・ロータである。
「道」(1954-1957公開)は1955年のイタリア映画祭で発表され、日本では2年後に公開された。この映画はアカデミー外国映画賞を受賞、キネマ旬報1位となり、日本の興行成績も素晴らしかった。テーマ曲の力も大きかった。結果、映画の主人公ジェルソミーナの人生とテーマ曲が、日本の一般大衆の涙を絞り、何度もリバイバル公開された。
名作とはこういう作品を言うのであろう。
 フェリーニ初期の傑作「青春群像」(1953)は、「道」のヒットで1959年に公開された。彼の2作目にあたるこの作品は、戦争に負けたイタリアの田舎都市リミニの青年たちの青春が、詩情豊かに写された戦後映画の古典である。
ロータ作のテーマ「どうにかなる(I Vitelloni)」は、中原美紗緒の代表曲「河は呼んでいる」のB面で発売された。

水星社は、同じくイタリア映画のネオレアリズモを代表する一人ピエトロ・ジェルミの映画主題歌も4曲管理している。(最初は6曲?)
ジェルミといえば、音楽はカルロ・ルスティケリである。「鉄道員」(1955)はサントラ盤で、セリフが入ったままレコード化され大ヒット。とにかく庶民のまずしさ、いじらしさ…同じ敗戦国として日本人には大きな共感があった。
ジェルミは、俳優としても有名で「わらの男」(1958-1959日本公開)では堂々たる監督主演だった。ルスティケリの主題歌は、娘のアリダが歌った。続いた「刑事」(1959-1960日本公開)も名作であるが、この主題歌「死ぬほど愛して」は大流行。これもルスティケリの娘のアリダが歌っている。サントラ以外にも日本の歌手が幾人もカバーして“死ぬほど”売れた。

一方、哀愁漂う「イタリア式離婚狂騒曲」(1961)の主題歌「黙って愛して」は男性が歌っている。「死ぬほど…」と対比するように…。
映画は、カトリックの掟に縛られるイタリアの色恋喜劇だが世界的にヒット、アカデミー賞にもノミネートされて次の「誘惑されて棄てられて」(1964-1965日本公開)に続いた。この映画、舞台はシチリア。シチリアの因習を感じる曲にルスティケリの才が光る。
フェリーニ+ニーノ・ロータが醸造酒ならジェルミ+ルスティケリはどぶろく感がある。 
「蜜がいっぱい」(1966)のサントラを是非聴いていただきたい。これはイタリア人でなければ書けない。

黒髪のスター誕生!
“すきっ歯”女優の元祖。

日本では知名度は地味だが、アルベルト・ラットゥアーダは大スター監督であった。
この監督は、新人スター発掘に定評があり、イタリア映画界に2人の重要アイドル女優を誕生させた。
二人とはカトリーヌ・スパークとジャクリーヌ・ササールである。
「芽ばえ」(1957-1958日本公開)でデビューしたジャクリーヌ・ササールも、「十七才よさようなら」(1960-1961日本公開)でデビューしたカトリーヌ・スパークも日本で大人気となった。両作とも、ラットゥアーダとの名コンビ、ピエロ・ピッチオーニが音楽担当している。(両作とも水星社の管理楽曲であった。)この二人のアイドルは、映画音楽を語るとき(特にカトリーヌは歌手でもあった)外せないので、このブログでも重複するだろう。とりあえず、水星社として管理した(している)楽曲の映画題名を記しておきたい。
※J・ササール
「三月生まれ」(1958-1959日本公開)
「激しい季節」(1959-1960日本公開)
※C・スパーク
「太陽の下の18才」(1962-1963日本公開)
「狂ったバカンス」(1962-1963日本公開)
「恋のなぎさ」(1964)